KojiMurata()

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ライフログ

自分の毒親の恐ろしさを語る!あなたの親も、もしかすると毒親かも!




結婚してから親元から離れてから、自分の母親が毒親であると分かりました。今回は、そのまま記事にしようと思います。毒親に悩まされている方、ぜひこの記事が役立ちますように。

自分の母親が、かなりの毒親であることに気づいたきっかけ

僕は人生の大半、フィリピンのマニラという所で過ごして来ました。フィリピンで暮らすには英語のコミュ力は必須ですし、行政サービスは近年急速にDX化していたので、私もついて行くのに必死でした。僕が必死であれば、母にとっては、よりついて行くのは難しかったと思います。母は、問題なく英語は話せるけど、スマホなどの電子機器の使い方が苦手だったので、税金関係、ビザ、車や家のメンテナンスなどは、大抵僕に依存していました。

フィリピン人はフレンドリーなので、分からないことがあれば大抵親切に教えてくれます。母はフィリピンに長年暮らしており、夫(僕の父親)もフィリピン人であるにもかかわらず、フィリピン人を信用できないので、負担はほぼ私にかかっていました。僕以外、母は他の誰にも頼ろうとなければ、自分で出来るように学ぶこともしませんでした。

よく言われたのは:

コウジがいないと、ママ何もできないわ!

という言葉です。このフレーズを、仲が良かった他の人にも言ってたので、周りからも「コウジ君はこれからもお母さんを大切にしないと行けないね」と言われました。正直とてもプレッシャーでした。この先、ずっと死ぬまで母と2人で暮らしていかないと行けないのか?と思いました。

でも、そんな私に好きな人ができ、付き合うことになりました!神様からのプレゼントだったに違いありません!しかし、結婚までの道のりは大変でした。時が流れ、婚約しましたが、結婚式の準備を進めるようになってから、母が邪魔するようになりました。

母は、結婚式をサポートするメンバーの選定、式と披露宴を行う会場、出される食事、テーブルクロスの色、引き出物まで、まるで自分の結婚式のように、すべて口を出してきた。本来、これらの事は、結婚する私たちが決めることなのに、過干渉にも度が過ぎていました。

僕と婚約者で、一度決めたことに対して、母親は必ず反対していました。今では笑い話ですが、今でも覚えているフレーズは:

何で、君たち2人で先先決めて行くの?彼女は、あなたを支配しようとしてる!もしママの言う通りにしなかったら、結婚式の時みんなの前で裸になって暴れてやる!

と言われました!本当に裸になって暴れて欲しかったです!

しかし、その後は、あたかも味方を装うように、必ずって言っても良いほど、決まったフレーズを心配そうな表情と口調でこう言います:

これは、あなたのために言ってあげてるんだよ!「言われているうちが華だって」それが何で理解できないのかが、不思議で仕方ないわ。。。

僕のために言ってくれてるんだから、言うことを聞かないといけないと思っていました。その結果、結婚式に関する準備で妻と一度決定したことは、大抵母親の思い通りの方向に変更し、進めて行きました。この時、妻は本当によくこらえていたと思います。

ちなみに当時、結婚式の準備と同時進行で、実家の修繕も行っていました。実家は築20年近くで、大分ガタが来てたので、修理が必要でしたが、何もこの時期に行う必要はありませんでした。結婚式までに玄関を修理したいと言ってたのは、もちろん母でした。動機は、義父が家に来るため「玄関がこのままだと、カッコ悪い」でした。

当時、家の入り口は、こんな風になっていました。Beforeになります。

修理した後、こんな感じになりました。Afterになります。

当時母親は、結婚前でお金が必要だと分かっていながら、実家の修理代を僕に負担させました。当時、婚約する前、突然失業していました。本当に本当に大変でした。でも、妻は僕が失業していることを分かった上で、受け入れてくれました。本当によく堪えてくれたと思います。 

こっちはママが払ったから、玄関はKojiが出しなさい。あんた稼いでるんでしょ?

母は結婚式の一部を費用を負担はしてくれたことは認めますが、正直、母がいない方がスムーズに準備を進めることができたと思います。もっと、コストが低い、簡素な結婚式でも良かったのです。ただ、母の期待に応じなければ行けないという呪縛にかかっていたので、僕も 。しかし、僕に対する母の期待は、結婚した後にも続きました。

結婚してから変化する母の態度

結婚してから、ずっと住んで来た実家を離れることになりました。慣れ親しんで来た暮らしから離れる寂しさ、母親を残して実家を離れると言う罪悪感、新たな人生が始まるというワクワク感など、とても複雑な心境でした。確かに母は、僕が心配するほど、結婚式を台無しにするようなことはしなかったので、まあ、私たちの幸せを願ってくれてるんだなーと思いました。甘かったです!

結婚した後、母親の態度が一変しました。それ以来、母親の表情もいつも怒っているように見えて、正直、「魔女」に見えました。新婚生活のベースを築かないと行けない最も重要な時に、母親は過度に生活に干渉するようになりました。

新婚旅行いつ行くの?アンタ、まさか全額出すんじゃないわよね?

まだ決まってないけど、多分旅費は半ずつくらいになるかな?

それじゃ、ダメだってば!!アンタが6割位ださないと!少しでも村田家が多めに出さないと、あの子つけあがって、村田家の側が不利になるでしょ?どうして、そんな事も分からないの?だからすぐコントロールされやすいのよ君は!バッカみたい!君は本当に頭が悪い!

(頭が悪いことは認めるけど、俺をコントロールしてるのアンタだろ?)

あの子の方から旅費を半分ずつにしようって言ってきたんでしょ?あの子は、君のことをコントロールしてる事にまだ気付かないの?もう、尻にしかれてるんだよ君は!ママは、あんな女のために君を育てたんじゃないのよ!もう、こんなはずじゃなかったわ!

僕が妻に対する信頼をなくすように、母は自分の妄想からあることない事を言って、僕の考えを操作している様子が分かりますが、本当に恐ろしいですね!

特に、今でも鮮明に覚えているのは、新婚生活を初めたばかりの時期に、早朝5:50頃、土足でズカズカ家に上がり込み、怒鳴り込んできた時です。しかも母親が怒鳴り込んで来た理由が、「新婚旅行の予定を言わなかった」からでした。ただ、結婚するずいぶん前から、母は新婚旅行についてくる気満々だったので、これだけは絶対に避けたかったため、あえて言わないようにしていました。

怒鳴り込んで来た時、母は妻に対してあることないこと、悪口を言い続けました。妻が傷つけられる姿を見て、自分はもっと傷つき、胸の真ん中辺りが締め付けられるような症状が現れました。僕の姿を見ていた妻は「大丈夫?」と言ってくれましたが、母親は目もくれませんでした。これが、その時の会話の一部です:

こんな事になるんだったら、ママはコウジの事を産まなければ良かった!

辞めてください!それ以上、コージ君の事を傷つけるようなことを言わないでください!

綺麗事言わないで!!じゃあ、アンタはママより、コウジの事を知ってるって言いたいの?コウジの事を子どもから育てたママより、たったの数ヶ月付き合ったアンタの方がコウジの事を知っているって言いたいの??

その後、酷いことを散々言われた妻は泣き出してしまいました。妻が泣いている姿を見て、本当に心が傷つきました。ところが、母の怒り狂っていた表情が突然気持ち悪い笑顔に変化しました。そして、この時、母は信じられないような一言を言い放ちました

よし勝った!あなたが泣く姿を、見てあたし、とってもスッキリしたわ!ハァ〜〜〜!とぉーっても、愉快だ!〜

この時、私は母のことを人間として見なくなりました。「最低、マジあり得ない」と思いました。

この時までは、一旦新婚生活が落ち着いてから、母親のために月に2回くらい定期的に実家に会いに帰って、車や家のメンテナンスをしたり、ビザの更新などを手伝うつもりでした。しかし、妻を深く傷つけた挙げ句に、妻の不幸を見て喜ぶなような人は、もう自分の母親の姿ではありませんでした。

僕の場合、母から暴言を吐かれたり、ナイフで脅されるなど、精神的に傷つけられたとても、その環境下で30年以上育ってきたので、ある程度時間が経てば自然に許すことができました。ただ妻は私にとって最も大切な人であり、妻を傷つけて喜ぶ母の行いは、どんなに時間が経っても許せませんでした。

僕も妻も、その日から悪夢を見るようになり、日中別のことをしているにも関わらず、急に胸が締め付けられるような、精神的な症状が現れるようになりました。できるだけ早く、行動する必要がありました。

結婚してから二極化する周りの態度

それから僕たちは周りの助けを求めるようになりました。しかし、母親は被害者ぶるのも、言葉も非常に巧みだったため、逆に僕たちが親不孝もののような白い目で周りから見られました。中には友達だと思っていた人々にも、母親からされていることや、症状が現れていることなど、悩みを打ち明けましたが、逆にこう言われてしまいました。

あなたのたった一人のお母さんだよ!あなた達が、お母さんを許さないといけない。許すしかないよ。

このアドバイスを言ってきた人は、母とも仲が良かったので、両方の話を聞いてしっかりと状況を理解できるだろうと信じていました。でも、相談する相手を間違えました。しかし、この人とは10年以上の長い付き合いということもあり、楽しい思い出もたくさんありましたので残念です。最後の最後に、母親の肩を持ったので、ショックでした。ゲームとかでよく出てくる、序盤では協力的だが、実は敵キャラだったという裏切りキャラのようなものです。今思い出せば、その人は、その場にいない人の悪口や陰口をよく言うクセがあったので、僕たちも、あることないことを相当他人に言ってたんだな〜考えてしまいます。くちびるの裏に毒があるくらい、息を吐くように陰口を言う人からは離れた方が賢明です。

信頼できる人は自分で判断して見つけて行こう

母は他人にはとても優しかったので、盛大にごちそうしたり、気前よく物を与えたりしていたので、母からされていることを説明しても、ほとんど信じてもらえませんでした。ほとんどの人は、最後まで私たちの悩みや話も聞かず、すぐにアドバイスする傾向がありました。

お母さんは本心で言ったわけじゃないと思うよ

コウジ君が結婚したから、お母さん寂しんだよ!コウジ君がお母さんの気持ちを理解してあげないといけないよ!

母親の本性を直で見ていないので、理解されなくても無理ありません。当時、良き理解者はほとんどいませんでした。しかし、みんながみんな母親の肩を持っていたわけではありません。

中には、ちゃんと話を最後まで聞いてくれて、問題の本質を見極める人もいました。その方は、無責任なアドバイスは一切しませんでした。僕たちがどんな問題を抱えているかを理解しようと努めていました。面白い事に、この方は母親から警戒されていたので、僕も最初悩みを打ち明けるのには抵抗がありました。正直、当時人間不審になっていたのと、自分たちの感覚が間違っているのかな?という自分自信の考えを疑っていたのもあるので、打ち明ける時は、必死でした。この方の大きな助けもあり、少しずつ自尊心を取り戻すことができるようになりました。

この時学んだのは、悩みを打ち明けることを諦めないことです!必ず、あなたが戦っている問題、そして悩みをちゃんと最後まで聞いてくれて、物事の本質を理解しようとする人が必ずいるということを信じ続けて、探し続けることが大切です!なので、この記事を読んでいる方の中には、悩みを抱え続けていているかも知れません。人間不信になっているかも知れません。どうか諦めずに、悩みを聞いてくれる人を探し続けてください!

状況をちゃんと理解できる信頼できる人が見つかると、少しでも自信を取り戻せるものです。自分が今まで長年暮らして来た街を離れようというポジティブな意思も強くなって来ました。これからは、自分で自分の人生を切り開きたい!自分が何をやりたいのか?を考えたい!という思いも強くなりました。毒親の元で育った子どもは、常に親の顔色をうかがって、親の決定に逆らえないように支配されるので、自信をなくし、自分で判断することが難しくなります。その結果、自分で考えてから行動して、失敗から学んで、改善していくチャンスも無くなってしまいます。

結婚して離れてから、自分が何をしたいのかがよく分からなくなっていました。また、何をするにしても、妻の顔色を伺っていました。しかし妻の場合、対応が全然違い、僕の考えを尊重してくれたので、結婚してからは圧倒的に自分で物事を決定する機会が増えました。でも、そのように気づかせてくれたのは、本当に愛する妻のおかげです。これ以上、自分の新婚生活に母親を関わわらせたくないという気持ちも強くなり、いろんな場所で住んでみたいという夢があったこともあり、セブ島へ移動することに決めました。

親元を離れて、何が分かったか?

結婚する前、映画やドラマなどで映し出される「健全な家族愛は、すべておとぎ話」で、現実には存在しないと思っていました。そのため、他の家庭でも、外からは見えない有害な家族関係が必ずあると勘違いしていました。妻と結婚してから分かりましたが、妻の家庭は本当の愛で溢れていました。

母の口癖は「あなたのために言ってあげてるんだよ」です。しかし、この言葉は信じない方が良いです。毒親に関する数多くの資料や、専門家からの意見を聞いて分かったのは、「あなたのために言ってあげてるんだよ」という言葉は、「黙って私の言うことを聞け!」という意味だそうです。本当に子どものためを思っている親は、子どもがやりたい事を応援します。そして本当に困った時に、助けの手を差し伸べます。自分の考えを押し付けたり、支配したりはしません。

妻は、僕が心の病気にかかっているのではないかという心配してくれて、妻にも負担をかけたくなかったので、思い切って精神科医に診てもらいました。その結果「PTSD」として診断されました。日本語では「心的外傷後ストレス障害」となります。フィリピンでPTSDは障害者として認められるため、PWD ID(日本でいう「障害者手帳」)を支給してもらえました。実は、母と二人で暮らしていた時期に、何度も胸が締め付けられる嫌な症状を経験しましたが、心配もされなければ、単なる演技だと言われました。もし理解してくれていたら、今頃PTSDにはなっていなかったでしょう。

終わりに

最後に、これまで僕に寄り添ってくれた妻に感謝したいと思います。セブ島へ移動してからも、気持ちの浮き沈みが激しかったですが、本当に支えてくれています。僕もそんな妻をこれから支えて行きたいと思います。

毒親が子どもに対する行い、子どもの考え方とその後の人生にも大きな影響を与えるほど、責任は大きいと思います。「子どもは親の言うことを聞くものだよ!」という一般的な考え方や、強い風潮があることから、被害者の子どもが勇気を持って一歩踏み出したとしても、信じてもらえないことが残念なケースも多いでしょう。毒親という気づかれにくい悪行がより周知され、被害を訴えやすい社会が1日でも早く来ますように。

毒親が、妻に言った一言を覚えていますか?

アンタはママより、コウジの事を知ってるって言いたいの?

私が代わりに答えます。「はい!」